「政治の世界」って、もしかしたら「信頼」の元に成り立っているのかもしれない

斉藤あつこさんの立候補予定者擁立記者会見に立ち合わせていただいたとき、

「私は大きな勘違いをしていたのかもしれない」ということに気づかされました。

 

これまでの私の政治の世界へのイメージは、「汚い」「駆け引きだらけ」「自分の利益のことしか考えていない」といったネガティブなものばかりでした。

与野党問わず、です。

 

でも、記者会見場の控え室にお邪魔させていただいたとき、そのイメージが崩れました。

そこには、たくさんの方々がいらっしゃいました。

候補予定となった斉藤あつこさん、旦那さんはもちろん、枝野代表や角田元参議院副議長、衆議院議員さん、県会議員さん、町会議員さん、秘書のみなさん……。

記者会見後、控え室で打ち合わせが始まったのですが、私は自分がここにいていいのかどうか戸惑いました。

もしかしたら退室したほうがいいのかもしれない。

でも、話し合いはどんどん進み、その機会を逃してしまいました。

 

話し合いの内容は専門的で私にはよくわからなかったのですが、そこに流れていた「空気の流れ」みたいなものくらいは読み取れました。

それは、「信頼」の空気でした。

 

「こんなに信頼ベースで物事が進んでいるんだ」と驚きました。

私が携わってきた仕事の打ち合わせのほうが、よほど疑いの意識で進めていたのではないかと振り返るほどでした。

 

自意識過剰かもしれないけれど議員さん方にしてみれば、私はどこの馬の骨ともわからない人間のはずです。

たとえば私がスパイで、あれやこれやする可能性だってあるわけです。

そんな可能性や空気を微塵も感じさせないまま、打ち合わせは進んでいきました。

 

そして、あつこさんを応援するようになって2週間以上が経ったいま、

 

「私自身が『疑い』を持っていたから、世の中が平和にならなかったのだ」

 

というところにたどり着きました。

 

「『疑いの意識』が、争いや戦いを生み出す」のだと。

 

私のような意識の方、多いんじゃないかなと思います。

 

「疑うことをやめてしまったら痛い目に遇う。これまでの歴史が物語っているじゃないか」という人もいるかもしれません。

私もずっとそう思っていました。

 

でも、その一方で気づいたことがありました。

 

私が本当に疑っていたのは、

政治や政治家への疑いの奥にある、

「自分自身の力」や、「世界が本当に平和になることへの可能性」でした。

 

記者会見場の控え室で私が感じた「信頼」の空気とは、

おそらく議員の方々の

「自分自身の力」や「世界が本当に平和になることへの可能性」に対する「信頼」

だったのではないかと思いました。

 

信頼の世界から、自らできることをしているんじゃないかと。

 

議員さんと市民である私。

生きている「前提の世界」が正反対だったのだと思いました。

 

議員さんは、

「自分の力、世界が平和になること」を信頼している。

私は、

「自分の力、世界が平和になること」を信じていない。

 

これじゃあ、どんなに議員さんが尽力したところで、私がどんなに尽力したところで、「政治の世界」と「市民の世界」が噛み合うことはないなと思いました。

 

「信頼の力」と「疑いの力」、どちらがパワフルに平和の世界へ近づけられるか。

 

まずは、私は「自分の力」と「世界が平和になること」を信頼してみようと思います。

 

「世界を平和にしようとがんばる」、その前に「世界が平和になることを信頼する」

 

「疑うことをやめようとする」のではなくて、「ただ信頼」する。

 

前提を変えてみる。

 

その先にどんな世界があらわれるのかを、見てみたいです。

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